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タグ:#福岡第一高校


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目下開催中のインターハイ、福岡第一は17年連続20回目の出場

BB チームの中で“ルール”はありますか。 

 

井手口 日本人も留学生も一緒です。1年から3年まで掃除する区域があって、準備、片付けもそれぞれ決まっています。ホームルームの中で、清掃活動を通しての教育もある。きれいにすることが目的だったら、清掃業者を入れればいい。生徒がやることに何かがある。施設を大事にするとか、ものを大事にするとか。そこまで考えてクラス運営をしている先生が少ない。 

 同じようにクラブ活動でも、体育館を使わしていただいている意識が必要です。 

 

BB 選手たちに求めていることは何ですか。   

 

井手口 それは嘘をつかないこと。大人になったら、嘘をついたり、ごまかしたりすることがどんどん増えていく。だけど、バスケットボールに関しては絶対に嘘をついたり、ごまかしたりしてほしくない。そういうものが自分の中に一つでもあったほうがいいと思います。先生としてバスケットが好きだから顧問の先生もやっていて、学校の中で大会があれば大会運営を頑張る。そういう、バスケットだからやろうという、ボランティア精神でやれる。 

 

(卒業して)次の世界に行ったら、バスケットじゃなくてもいいんです。バスケットボールを通して、そういう考えかたなり、生きかたを学んだことが役立ってくれる。ただ、できれば、どんな形であれ、バスケットボールに関わってくれるとうれしいかなぁ。 

 

BB 話は変わりますが、以前うかがった話。エースガードの河村勇輝(3)にとっては耳の痛い話かもしれませんが、アンダーの合宿を終えて福岡第一にJAPANのウエアを着て帰ってくるとおっしゃいました。

   

井手口 最初は何も言いませんでした。初めて選ばれてうれしいもの。これが中学から経験のある子だったら、そんなことはないんでしょうけど、中学では(そんな経験)なくて、高校になって選ばれて、最初のころは堂々とJAPAN(のウエア)で帰ってきたんです。ときには、調子に乗って僕が練習中に何かいうと、わからなーいというポーズをとったり。日本代表でやっていると、(部活は)レベルが低すぎてやってられない、と生意気なことを言ったこともありました。 

 

「わかった、お前東京行きのチケットを取るから東京に帰れ! お前のチームはあっちだ。二度と帰ってくるな」と、言いました。河村に言うとき、「お前アジアで何番だ? 俺は3番で世界選手権に行ったぞ」と。説得力があるでしょ。だから、頑張れと言ってきました。 

 

「俺はNTC(ナショナルトレーニングセンター)に入ってJAPANがついているウエアを着たし、NTCを出るときはJAPANを脱いで福岡第一の格好で帰ってきて、体育館に来た時は福岡第一のコーチの格好をしていたもんだ。俺がここ(福岡第一)で日の丸をつけていたらおかしいと思わないか? という話もしました。彼は頭のいい子だから、納得して次からはちゃんとTPOをわきまえた格好をするようになりましたね。 

 

  そういう面も含めて、河村は去年1年間ですごく成長したんじゃないかなぁ。そういうことを学校の先生たちは言えないでしょうね。 

 

BB 高体連の先生たちも選手たちが何を着ているかそういう面はよく観察されていて、自分の高校に誇りを持っているかどうかがわかるし、そこが違うよねという話をされていました。 

 

井手口 それはスタッフの先生が教えなくてはいけないことかもしれませんね。高校生といってもまだ子供。調子に乗ることもあるし、それは気づかせてあげればいい。上には上があるんだから。その程度で満足するなよ、と。オリンピックで金メダルでも取ればいいけど。 

 

河村がいる限りはそういう話はしていきます。 

 

BB 先生自身、もう体育館で生活してるのではと思えるくらい体育館にいるわけじゃないですか。家族から何か言われることはないのですか? 

 

井手口 ありません() どーぞどーぞ、と。 

 

BB そういえば、奥さんと娘さんたちで、おにぎりを作ってくれることもあると聞きました。 


井手口 あの人たちも暇があればだけど、気がついたら200個くらい握って持ってきてくれたりとか。好きというか、子供たちがかわいいんでしょうね。見ていてかわいくなる。そうでしょ、どこの学校の生徒もかわいくならないほうがおかしい() 

  普段は当番を作って自分たちで握ってます。特に自宅から通っている生徒用に。炊飯器は3つも4つもありますよ。そのおにぎりを食べてからシューティングをします。


BB
 練習後の捕食として、30分以内におにぎりなど、糖質を多く含んだ捕食でエネルギーをチャージするわけですね。

 

井手口 そうです。寮生のAチームは1回寮に帰って夕食を食べに帰らせます。1時間ぐらいたったら戻ってこい、と。そこからシュート練習をします。1月から3月は大学の寮の間借りだったから、シュート練習ができてなかった。たから上がってきてませんね。  

 

BB 今年のチームをどう見てますか? 

  

井手口 去年あまりにいい終わり方をしてしまったので、彼らも大変ですね。 

 

BB 特に松崎裕樹(東海大1年)君は3年間ずっと試合に出ていたわけで、彼なりに苦しんだ時期もありましたがその穴は。   

 

井手口 そこに今は神田壮一郎(3年)がやっています。神田なりにできることをやればいい。 

 

BB チーム作りは、やりながら変化していくこともあると思うのですが、目標はいつ決めるのですか。 

  

井手口 うーん、だいたい新しいチームに変わったときだけれど、ある程度来年度はこれでいくと決めています。自分はスターターはこだわるんですよ。スターターと決めた子に関しては多少我慢してスタートメンバーであり続けさせる。 

 

BB なぜですか? 

  

井手口 スターターとしての責任、勝ち負けの責任というかスターターの責任があると思います。それをしっかりすり合わせてやらなければいけないから、僕なりに見極めて見極めて新チームのこの5人と決める。チームは続いていくものですがら、今シーズンだけよければいいというものではない。そこに、ちょっと力はないけど下級生がメンバーに入っていたりとか、必然的に出てきます。 

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     福井国体で、福岡選抜のスタッフはラスト。優勝の胴上げ

 

BB 現在、日本一は6回。(2019年3月23日現在)  

 

井手口 インターハイ3回、ウインターカップ3回です。あと5年で定年ですから。そこで区切りだと思っています。そのあとは大変だと思いますが、卒業生のがいいのかなと思っています。それに、手足となって動けるコーチも必要。 僕みたいに朝から晩まで体育館にいても大丈夫という人を入れる。今井康輔は部長的な感じで。 

 

BB 今どきの子でいますかね? 

 

井手口 そのぐらいの気持ちでやっている人がいるかどうかわからない。すべて強制もできない。 

  

BB 今年は、河村、小川朝斗、2人のキャプテン制ですが。

   

井手口 最初は河村だったのですが、小川全中(全国中学生大会)で活躍したキャプテン。河村「僕はできませんよー」といいはじめた。もともと目立つことが好きではないし、俺についてこいというタイプだはない。小川にも気をつかったのではないかな。小川は自分の中にそういう面がないとダメだとわかりはじめている。しゃべらなきゃいけない。かといって小川一人に任せるのも大変。何かにつけ取材やインタビューされる機会も多い。そういうのは河村のがうまい。小川のほうが、練習中にBチームの子を集めて、「しっかりやらなきゃ」と言っている。試合は、河村がPGだからゲームキャプテンは誰ですかと聞かれると河村と答えてます。それが自然の流れになっています。 


 まぁ、今年のチームはあの2人と心中だから。2人で好きなようにやれば、と言って2人で考えて2人でやりますとなったわけです。2人の持分を決めたみたいです。河村が審判と握手して、相手チームのコーチに挨拶に行くのは小川。今までは1人しかないです、2人のキャプテンは初めて。 

 

BB 最後に井手口先生の教育信念を教えてください。 

 

井手口 特にないんですよね。ただ、だまされるかもしれないけど、誰でも受け入れる。仲良くしたい。好き嫌いがはっきりしている指導者は多い。僕はそれができない。誰とでも仲良くしてしまう。だから、子供たちにも留学生がきて面倒くさい、ではなくて自分の今与えられたみのとして受け入れて優しく接してあげる。いずれまた自分が助けられることは絶対に出てくる。問題も多いし大変な子や親がいても、母ちゃんから「先生かっこよかったよ」というメールが届いたり。一人ひとり大事にしていかなくてはいけないな、と。きっと5年後10年後、うちの学校のことをよく言ってくれる。そういう路線ですね。 

 若いときは突っ張って、けんかを売ったりもしていたけれど、2030代とは違う、50代の考えかたですね。また60代になったら変わるかもしれません。偏屈じいさんになっているかもしれません() 


<取材・文 清水広美>

  

  

井手口孝監督 PROFILE 西南学院高~日体大。 1963年生まれの55歳。福岡第一高校教頭、福岡県バスケットボール協会副会長


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 井手口孝コーチは、福岡第一バスケットボール部を創部、全国制覇6回を数える

 2019年7月31日現在、今夏の鹿児島インターハイでも福岡第一バスケットボール部は、
優勝候補筆頭に挙げられている。 


 インターハイ17年連続20回目の出場、優勝3回(2004、2009、2016年)、ウインターカップ優勝3回(2005、2016、2018年)、準優勝4回など全国屈指の強豪校といえよう。


 学校法人都築学園福岡第一高等学校の創立は昭和31年(1956年)。
 「第一」という校名は、仏教の「第一義諦」に由来する。
 もっとも優れて尊い個性やアイデンティティの意味だ。

 欧米、アジア、アフリカの世界の国々から留学生を受け入れる。
 国際交流の環境を大切に、国際科、普通科、音楽科をはじめ多岐にわたる学科がある。

 男子バスケットボール部は1994年、パラマ・バスケットボール塾からのスタートだった。
 6月には正式な部に昇格、今年の6月1日に創部25周年を迎えた。

 
ディフェンスからの速攻を武器に、激戦区・福岡でめきめき頭角を現した。井手口監督就任5年目の1998年にインターハイ初出場。

 大学、B.リーグで活躍しているOBも多い。

 今や、卒業生は300人を超え、現在部員は去年も今年も77人。
 創部当時より指導する井手口監督にその教育論をうかがってみた。 

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        昨年の福井国体より。エースガード#6河村

  

BB 指導者になろうと思ったきっかけはなんですか? 
 
 

井手口 中学の担任が体育の先生で、その先生に憧れて将来は体育の先生になろうかなぁ、と思いました。怖かったんですけど、卒業する時には涙・涙でお別れするほど熱い先生でした。当時の先生は皆、熱かったですよね。だから、おれも体育の先生になってバスケットボール部の顧問になってクラス担任をしよう、と。 

  

 (西南学院)高校に入ってからは、監督の先生がいなくて自分たちで練習メニューを組み立てているような部でした。高校1年の新人戦は、顧問の先生が忘れて試合に来なくて没収試合になったこともありました。


 顧問の先生は他の先生にその日は行けないので、「代わりに行ってね」とお願いしていた日が間違っていたそうです。
 そこまでは
頑張っていたのに、気持ちが崩れてしまい、遊びに走る人もいたり、チームが崩壊してしまった。
 私立高校だったから、自分が体育の先生になり、戻ってきて母校の監督をしたい。という具体的な目標となりました。
 

  

BB それで、日体大に進学したわけですね。  
 

井手口 中学の先生は大体大の野球が専門の先生でした。当時、日体大の先生が多く、日体大バスケットボール部日本一のチームだったので、 日本一のチームに入ったほうがいいという無謀な考えで行きました。 

  

  

BB その中学の先生で印象に残っている言葉はありますか 

井手口 いっぱいあります。特に、卒業する時に先生が大泣きでした。僕より13歳年上だったから、当時28歳。当時一番厳しかった先生が号泣されたのに、なんというか、感動しました。いい大人の人があんなに泣くなんて、この人は本気だったのだな、と。
 野球出身だったけど、女子のソフトボール部の顧問でした。2回全中で日本一になったん
ですよ。
 スポーツのコーチとしても尊敬できるし、今でも交流はあります。
 

  

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        国体は井手口コーチ最後のさい配となった

BB 以前お話をうかがった時に「部員は多ければ多いほどいいんだよ」と言われたのですが、一般的に多ければ多いほどチームの運営は大変ではないか、と不思議に思いました。

井手口 もちろん、少数精鋭でやればお金もかからないし、部員が増えても学校の予算が増えるわけでもない(笑)部に対する予算だから。ボール一つとっても、30人で使うのと100人で使うのでは消耗の頻度から違う。 

  

 ただ、話がずれるかもしれませんが、(前任の中村学園女子高から)福岡第一に変わってすぐは、来てくださいといったって誰もくるわけがない。そう簡単に来てくれるわけではありません。それが、自分から「来たい」、「入れてくれませんか」、という人がいるというのはありがたいことで、断れないんですよね。人数が多いなら多いで、練習のやりかたはいくらてもある。そもそも、僕自身が日体大にいたころは400人の部員がいましたから。 

  

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            決勝、試合前の挨拶をかわす

 試合に出てということだけではなく、バスケットボールに関わっていくという風にとらえたら、それもありかなと思う
ですよね。だから、断りきれません。うちの学校でもあるクラブは特待生だけで一般生の入部は断っているところもありますよ。アメリカの高校とは違って、基本日本の学校は入れるわけですから。 

  

BB 練習のやり方を変えるというのは? 

井手口 基本的に、練習の最初と最後の時間は一緒にやれるほうがいいですね。大学生みたいに、1軍、2軍と分けるのではなく。とはいっても僕に教わりに来ている。部員が増えるということは生徒も増えるのだから、バスケットのコーチや先生も入れる。僕一人では無理です。「他のコーチを入れてもいいですか」と学校にお願いします。だから、卒業生の今井康輔先生も入ったし、4月から長谷場裕二先生(木屋瀬中~延岡学園OB)もいる。バスケットをやっていた人に教員になる場も与えられる。 

  

 今の福岡第一は部員が多くても練習がやれる学校。逆にいえば、高校時代試合に出られなかった選手でも、大学で試合に出たり、Bリーグの選手になったりする子もいます。高校時代どうだったんですか? 「いや、1分も出ていません」という選手もいるわけです。 

 日本経済大から熊本ヴォルターズで活躍している古野拓巳(現在は広島ドラゴンフライズ)がその代表格です。3×3に出て優勝した原慎也や(KARATSU LEO BLACKS.EXE) なんかも、高校時代のプレイタイムは0だったと思います。


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               戦況を見守る
 

 うちに来て、バスケットボールを好きになって、卒業して今でもバスケットを続けていてくれるということは、バスケット界にとってはいいことだと思うんですよね。 ただ、僕の自由時間はありません(笑)  

  

BB やはり、部員が多いことでいろいろ気をまわさなくてはいけない。   

井手口 例えば、コーチがいる。Bチームの選手を見とってねと言うけど、自分もコートにいたほうがいい気がする。それは子供たちにとって、同じ2時間、3時間でもいい内容になる練習をしたほうがいい。そう思うと、自分が少しでも休まずにコートに立つことがいいのかな、と思って。最初は邪魔かな、とも思いました。若い先生が見たほうがのびのびやれるのかなと思ったけど、若いというだけではコーチングはまだ未熟なわけで。 

  

BB 選手の立場からいえば俺たちの練習は井手口先生に見てもらえないんだ」という気持ちが芽生える選手がいるかもしれない 

井手口 そうそう。だから、朝体育館に来たら、教官室の中にいたとしても、朝練に来た段階でフロアにいる子たちは「おはようございます」と言います。あとから来た選手は教官室に来て「おはようございます」と言いにくる。僕も「おー」とかなんとか必ず一声でも声をかけるように心がけています。練習が終わったら、僕より先に帰る子は「失礼します」と言いにくる。たった一言だけど、時にはそこで全然関係ないことでも話すこともある。練習はどうしてもAチームしか見れなくて、Bチームの子はあまり見ることはできないけど。そういうコミュニケーションが少しできるようになってきた。以前はそんな風には考えられなかった。面倒くさくて。試合に出られない子は若い先生と練習をやっていればいいじゃないか、と。 

  

 今はそういうことはもっと大切にしなくてはいけないと気持ちがある。昔は頭を下げても来てくれなかった時代もあったんですから。選手を大切なことはイコール厳しくするということだと思っているんです。甘やかさずに、悪いことは悪いと怒ってあげる。 声をかけてあげる。 

  

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         タイムアウト。ベンチで選手に語りかける


BB
 今、全国に留学生は70人以上います。中でも福岡第一はさきがけです。留学生を受け入れるということは、一つには国際科があったのが大きいですか。   

井手口 学校としては大きいですね。前任の中村学園女子にいたとき、韓国から来た(日体大~日本通運)とか崔がいました。それも、チームに留学生がいることのシミュレーションでした。留学生が入ると、どういうことが起きるのかというのもわかっていました。チームが強くなる反面、留学生に対してどういうことを考えてあげなくてはいけないかということ。 


BB 留学生に接する上で心がけていることはなんでしょう?
 
 

井手口 できる限り、(日本人と)同じように接する。どこかで、日本のお父さんをしなければいけない感じです。というのも、何かあっても国に、自分の家に帰れないわけです。電話にしても、生活する時間帯が違うし、頻繁にはかけることができない。 

  

BB そういえば、最近OBのバム・アンゲイ・ジョナサン(日体大2年) は最近5年目にして初めて帰国したと聞きました。 

井手口 バムはパスポートの切り替えで初めて国に帰りました。ディアラ・イソフ(天理大1年)もお父さんが大きな手術をしたから3年目にして初めて帰りました。 
 バムは帰ったら、お母さんに「帰ってくる暇があるのなら。勉強とバスケットボールをしなさい」と言われたそうです。だから、バムのあの日本人より日本人らしい大和魂はお母さんにあるのかもしれない。家族はお母さんだけで一人っ子でしょ。ずっと「お母さん一人なんだからコンゴに帰ってあげなさい」
そうしたら、ママが「帰ってくるな」と言うらしい。 

  

BB ラマダン(イスラム暦(1年が354日の太陰暦)の9月。断食月。健康な人は日の出から日没まで飲食を絶つ決まりがある)とか宗教の戒律もありますね イスラム信者が多いのですか?  

 

井手口 イスラムだったり、そうではなかったり、ハーフイスラムとか家族の中に一人はイスラムがいなくてはダメだという宗教観もあったり、それぞれです。要は同じ高校生というか、子供ですね。だから、複数でいねほうがいいのかなと思っています。一人だとどうしても甘やかしちゃうじゃないかな。何かあった時に無理させないとかね。2人でも1人がケガすると、残り1人。ファウルトラブルになると0人。そうするとバスケットを変えなくてはいけない。そういう練習をするのは余裕がないからやっていない。 できるだけ温存してしまいますね。 

  

BB その一方で、複数いるとあまり日本語を覚えなくなるということを聞きますが。

井手口 1年間は国際科の日本語プログラムのクラスがあります。そこでしっかり日本語の勉強します。覚えないと単位を取れないから。 それはうちのいいところ。2年目からはアスリートコースに入ります。そういうシステムです。
≪後半へつづく≫ 


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      全九州新人戦より。伝統のディフェンスは今年も健在



<取材・文 清水広美>

  

  

井手口孝監督 PROFILE 西南学院高~日体大。 1963年生まれの55歳。福岡第一高校教頭、福岡県バスケットボール協会副会長

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