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 井手口孝コーチは、福岡第一バスケットボール部を創部、全国制覇6回を数える

 2019年7月31日現在、今夏の鹿児島インターハイでも福岡第一バスケットボール部は、
優勝候補筆頭に挙げられている。 


 インターハイ17年連続20回目の出場、優勝3回(2004、2009、2016年)、ウインターカップ優勝3回(2005、2016、2018年)、準優勝4回など全国屈指の強豪校といえよう。


 学校法人都築学園福岡第一高等学校の創立は昭和31年(1956年)。
 「第一」という校名は、仏教の「第一義諦」に由来する。
 もっとも優れて尊い個性やアイデンティティの意味だ。

 欧米、アジア、アフリカの世界の国々から留学生を受け入れる。
 国際交流の環境を大切に、国際科、普通科、音楽科をはじめ多岐にわたる学科がある。

 男子バスケットボール部は1994年、パラマ・バスケットボール塾からのスタートだった。
 6月には正式な部に昇格、今年の6月1日に創部25周年を迎えた。

 
ディフェンスからの速攻を武器に、激戦区・福岡でめきめき頭角を現した。井手口監督就任5年目の1998年にインターハイ初出場。

 大学、B.リーグで活躍しているOBも多い。

 今や、卒業生は300人を超え、現在部員は去年も今年も77人。
 創部当時より指導する井手口監督にその教育論をうかがってみた。 

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        昨年の福井国体より。エースガード#6河村

  

BB 指導者になろうと思ったきっかけはなんですか? 
 
 

井手口 中学の担任が体育の先生で、その先生に憧れて将来は体育の先生になろうかなぁ、と思いました。怖かったんですけど、卒業する時には涙・涙でお別れするほど熱い先生でした。当時の先生は皆、熱かったですよね。だから、おれも体育の先生になってバスケットボール部の顧問になってクラス担任をしよう、と。 

  

 (西南学院)高校に入ってからは、監督の先生がいなくて自分たちで練習メニューを組み立てているような部でした。高校1年の新人戦は、顧問の先生が忘れて試合に来なくて没収試合になったこともありました。


 顧問の先生は他の先生にその日は行けないので、「代わりに行ってね」とお願いしていた日が間違っていたそうです。
 そこまでは
頑張っていたのに、気持ちが崩れてしまい、遊びに走る人もいたり、チームが崩壊してしまった。
 私立高校だったから、自分が体育の先生になり、戻ってきて母校の監督をしたい。という具体的な目標となりました。
 

  

BB それで、日体大に進学したわけですね。  
 

井手口 中学の先生は大体大の野球が専門の先生でした。当時、日体大の先生が多く、日体大バスケットボール部日本一のチームだったので、 日本一のチームに入ったほうがいいという無謀な考えで行きました。 

  

  

BB その中学の先生で印象に残っている言葉はありますか 

井手口 いっぱいあります。特に、卒業する時に先生が大泣きでした。僕より13歳年上だったから、当時28歳。当時一番厳しかった先生が号泣されたのに、なんというか、感動しました。いい大人の人があんなに泣くなんて、この人は本気だったのだな、と。
 野球出身だったけど、女子のソフトボール部の顧問でした。2回全中で日本一になったん
ですよ。
 スポーツのコーチとしても尊敬できるし、今でも交流はあります。
 

  

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        国体は井手口コーチ最後のさい配となった

BB 以前お話をうかがった時に「部員は多ければ多いほどいいんだよ」と言われたのですが、一般的に多ければ多いほどチームの運営は大変ではないか、と不思議に思いました。

井手口 もちろん、少数精鋭でやればお金もかからないし、部員が増えても学校の予算が増えるわけでもない(笑)部に対する予算だから。ボール一つとっても、30人で使うのと100人で使うのでは消耗の頻度から違う。 

  

 ただ、話がずれるかもしれませんが、(前任の中村学園女子高から)福岡第一に変わってすぐは、来てくださいといったって誰もくるわけがない。そう簡単に来てくれるわけではありません。それが、自分から「来たい」、「入れてくれませんか」、という人がいるというのはありがたいことで、断れないんですよね。人数が多いなら多いで、練習のやりかたはいくらてもある。そもそも、僕自身が日体大にいたころは400人の部員がいましたから。 

  

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            決勝、試合前の挨拶をかわす

 試合に出てということだけではなく、バスケットボールに関わっていくという風にとらえたら、それもありかなと思う
ですよね。だから、断りきれません。うちの学校でもあるクラブは特待生だけで一般生の入部は断っているところもありますよ。アメリカの高校とは違って、基本日本の学校は入れるわけですから。 

  

BB 練習のやり方を変えるというのは? 

井手口 基本的に、練習の最初と最後の時間は一緒にやれるほうがいいですね。大学生みたいに、1軍、2軍と分けるのではなく。とはいっても僕に教わりに来ている。部員が増えるということは生徒も増えるのだから、バスケットのコーチや先生も入れる。僕一人では無理です。「他のコーチを入れてもいいですか」と学校にお願いします。だから、卒業生の今井康輔先生も入ったし、4月から長谷場裕二先生(木屋瀬中~延岡学園OB)もいる。バスケットをやっていた人に教員になる場も与えられる。 

  

 今の福岡第一は部員が多くても練習がやれる学校。逆にいえば、高校時代試合に出られなかった選手でも、大学で試合に出たり、Bリーグの選手になったりする子もいます。高校時代どうだったんですか? 「いや、1分も出ていません」という選手もいるわけです。 

 日本経済大から熊本ヴォルターズで活躍している古野拓巳(現在は広島ドラゴンフライズ)がその代表格です。3×3に出て優勝した原慎也や(KARATSU LEO BLACKS.EXE) なんかも、高校時代のプレイタイムは0だったと思います。


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               戦況を見守る
 

 うちに来て、バスケットボールを好きになって、卒業して今でもバスケットを続けていてくれるということは、バスケット界にとってはいいことだと思うんですよね。 ただ、僕の自由時間はありません(笑)  

  

BB やはり、部員が多いことでいろいろ気をまわさなくてはいけない。   

井手口 例えば、コーチがいる。Bチームの選手を見とってねと言うけど、自分もコートにいたほうがいい気がする。それは子供たちにとって、同じ2時間、3時間でもいい内容になる練習をしたほうがいい。そう思うと、自分が少しでも休まずにコートに立つことがいいのかな、と思って。最初は邪魔かな、とも思いました。若い先生が見たほうがのびのびやれるのかなと思ったけど、若いというだけではコーチングはまだ未熟なわけで。 

  

BB 選手の立場からいえば俺たちの練習は井手口先生に見てもらえないんだ」という気持ちが芽生える選手がいるかもしれない 

井手口 そうそう。だから、朝体育館に来たら、教官室の中にいたとしても、朝練に来た段階でフロアにいる子たちは「おはようございます」と言います。あとから来た選手は教官室に来て「おはようございます」と言いにくる。僕も「おー」とかなんとか必ず一声でも声をかけるように心がけています。練習が終わったら、僕より先に帰る子は「失礼します」と言いにくる。たった一言だけど、時にはそこで全然関係ないことでも話すこともある。練習はどうしてもAチームしか見れなくて、Bチームの子はあまり見ることはできないけど。そういうコミュニケーションが少しできるようになってきた。以前はそんな風には考えられなかった。面倒くさくて。試合に出られない子は若い先生と練習をやっていればいいじゃないか、と。 

  

 今はそういうことはもっと大切にしなくてはいけないと気持ちがある。昔は頭を下げても来てくれなかった時代もあったんですから。選手を大切なことはイコール厳しくするということだと思っているんです。甘やかさずに、悪いことは悪いと怒ってあげる。 声をかけてあげる。 

  

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         タイムアウト。ベンチで選手に語りかける


BB
 今、全国に留学生は70人以上います。中でも福岡第一はさきがけです。留学生を受け入れるということは、一つには国際科があったのが大きいですか。   

井手口 学校としては大きいですね。前任の中村学園女子にいたとき、韓国から来た(日体大~日本通運)とか崔がいました。それも、チームに留学生がいることのシミュレーションでした。留学生が入ると、どういうことが起きるのかというのもわかっていました。チームが強くなる反面、留学生に対してどういうことを考えてあげなくてはいけないかということ。 


BB 留学生に接する上で心がけていることはなんでしょう?
 
 

井手口 できる限り、(日本人と)同じように接する。どこかで、日本のお父さんをしなければいけない感じです。というのも、何かあっても国に、自分の家に帰れないわけです。電話にしても、生活する時間帯が違うし、頻繁にはかけることができない。 

  

BB そういえば、最近OBのバム・アンゲイ・ジョナサン(日体大2年) は最近5年目にして初めて帰国したと聞きました。 

井手口 バムはパスポートの切り替えで初めて国に帰りました。ディアラ・イソフ(天理大1年)もお父さんが大きな手術をしたから3年目にして初めて帰りました。 
 バムは帰ったら、お母さんに「帰ってくる暇があるのなら。勉強とバスケットボールをしなさい」と言われたそうです。だから、バムのあの日本人より日本人らしい大和魂はお母さんにあるのかもしれない。家族はお母さんだけで一人っ子でしょ。ずっと「お母さん一人なんだからコンゴに帰ってあげなさい」
そうしたら、ママが「帰ってくるな」と言うらしい。 

  

BB ラマダン(イスラム暦(1年が354日の太陰暦)の9月。断食月。健康な人は日の出から日没まで飲食を絶つ決まりがある)とか宗教の戒律もありますね イスラム信者が多いのですか?  

 

井手口 イスラムだったり、そうではなかったり、ハーフイスラムとか家族の中に一人はイスラムがいなくてはダメだという宗教観もあったり、それぞれです。要は同じ高校生というか、子供ですね。だから、複数でいねほうがいいのかなと思っています。一人だとどうしても甘やかしちゃうじゃないかな。何かあった時に無理させないとかね。2人でも1人がケガすると、残り1人。ファウルトラブルになると0人。そうするとバスケットを変えなくてはいけない。そういう練習をするのは余裕がないからやっていない。 できるだけ温存してしまいますね。 

  

BB その一方で、複数いるとあまり日本語を覚えなくなるということを聞きますが。

井手口 1年間は国際科の日本語プログラムのクラスがあります。そこでしっかり日本語の勉強します。覚えないと単位を取れないから。 それはうちのいいところ。2年目からはアスリートコースに入ります。そういうシステムです。
≪後半へつづく≫ 


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      全九州新人戦より。伝統のディフェンスは今年も健在



<取材・文 清水広美>

  

  

井手口孝監督 PROFILE 西南学院高~日体大。 1963年生まれの55歳。福岡第一高校教頭、福岡県バスケットボール協会副会長